暑中見舞いの返事の残暑見舞いを書き終え、わざわざ記念切手を貼ることで些細な心遣いでも表したような気になり、満足げにぽんぽんと数枚のはがきを揃えて一息つく。もう、9月になってしまった。でも、今日受け取った残暑見舞いもあるのだ。気にすることはない。今年買った赤いエスパドリューも、ひと夏でずいぶんくたびれてしまった。来年また買わなくちゃと思いながら、つっかけて、強い日差しの外にでる。まだ、残暑が厳しい。このはがきが届くころまでなら、まあ、残暑もいいか。と、思う。それでも、真夏よりは強く風を感じたので、少し遠回りをしてみることにする。近くにT川の支流が流れており、車一台がやっと通れる小さな橋の中腹に立って西日にきらめく川面を眺める。ひどく水が少ないようで、泳いでいる鯉の背が川面からでている。鯉という魚はなんとも気色が悪い。特に、エサに集まって口をぱくぱくしながらひしめいている様子は悪い夢の中の光景のようだ。わたしは、怖いもの見たさで老人の餌やりをしばらく眺める。重なり合うようにしてぬめる鯉たちの動きに吸い込まれそうになったとき、携帯の呼び出しが鳴る。取り出してみると、夫からだった。しばらくディスプレイの番号を見つめて、またしまう。いま声を聞きたくない。子供がいれば、こんなふうにならなかったのかも。恋人に話したことがある。前にも後ろにも行けない場所で毎日生きているのだと。ときおり、熱気とともになまぐさい鯉の匂いが立ち上る。また、携帯が鳴る。取り出すときに慌てたのか、束になった残暑見舞いが風に飛ばされ川に落ちた。よく見ると、その中に、あきらかにわたしが書いたものでないはがきがある。海のような空のような青色をしたはがきだ。見ていると一匹の鯉がそのはがきをくわえもしゃもしゃと食べはじめる。みるみる鯉の体は青くなり、彩度をあげ、透明度と不透明度を併せ持つクライン・ブルーのようになっていった。その鯉がすっと群れから離れ、下流へと向かった。わたしも導かれるように、川沿いの道を小走りにそれを追い掛けた。川岸へと駆けおりてゆくと、クライン・ブルーの鯉はまるで、ブルーのボートをひっくりかえしたような背をのぞかせたまま近づいてきた。裸足になって、スカートをたくしあげ水にはいる。思っていたよりも水はきれいだ。鯉はわたしが近づいても逃げない。まるで、わたしが来るのを待っているようだった。鯉はその深く輝きを持った青のまま、わたしの足の回りをぐるぐる回る。わたしは何度か手を水の中に差し入れてみるが、やはり生きた魚をつかむのは簡単ではなかった。そのうち、何故だか、左足の感覚がなくなってゆき、そのせいか体が右にどうしても傾く。恐る恐る左足を見てみると、その先に鯉がいる。鯉がわたしの左足を飲み込んでいるのだ。驚いて川の中にしりもちをつくと、それをきっかけに鯉はわたしの右足をもくわえ込みずずっずずっと音を立てながら、腰まで飲み込んでしまった。わたしと同体となった鯉は焦点のあわぬ上目づかいでわたしを見て言った。「あなたからの手紙、ずっと待っていたんですよ」わたしは、腰から下の感覚を失い、同時に目の前が闇になる。
しばらくして気がつくと、流れる雲と空が視界に飛び込んできた。ただただ、広い空だけが見えて、それが少しずつ下方へと流れていく。小さな橋がはるか上に見えたとき、はじめて、自分が川を流れているのだと知った。それも、下半身の尾ビレをゆっくりと動かしながら。わたしは恍惚として空を眺める。こんな光景をいつもどこかで夢見ていた気がする。わたしの脇を一枚、二枚と紙のようなものが流れていく。絵はがきだ。わたしの書いた絵はがき。宛名のインクはとうににじんでしまっている。その一枚一枚をわたしは確かめながら流れていく。昔イギリスの美術館で買ったものだ。ロセッティ、バーン
= ジョーンズ、ムーア、全部で18枚。のはずが、17枚しか流れてこない。そうだ、一枚は、いまやわたしの下半身となってしまったこの鯉が食べたんだっけ。橋の上では、老人がまだ、餌をまいている。わたしは、川をさかのぼっているんだな。そのとき、尾ビレの動きが急にかわり、わたしは少しずつ、水の中へと引き込まれていった。ごぶりという音と同時に視界の空が消えた。その時、最後の絵はがきがミレーのオフィーリアだったことを思い出した。
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