製作中の銅版画を三点、試し刷りする。モチーフは心臓と羽根。さんざん悩んだものよりも、なにげなく作りはじめたもののほうがうまくいっている。腐食銅版は、銅の板に防腐剤を塗って、ニードルなどで防腐剤をかきとり、塩化第二鉄という強い酸に浸して、あらわになっている部分の銅を溶かして製版する。溶けた凹部にインクをつめて強いプレスをかけてインクを紙に刷りとると、銅版画のできあがり。腐食の時間によって描くようなところがあるので、きちんと時間を計ってつくれば、そこには時間の経過が刻まれることとなる。意志が描くのではなく、時間が描くというところに銅版画の魅力がある。三点については、ひきつづき、時間を刻んでいくことにする。完成までには、まだ少し時間がかかりそう。
アトリエからの帰り、新宿の書店へ。ガストン=バシュラールを斜め読み。気に入った一文。“冬は四季のなかでいちばん古い”とか。そういえば、だいぶ寒くなってきた。いつ、コートを着はじめるべきか。
家に戻る。伴侶は遅い帰宅の予定。パソコンをすぐにたちあげる。「ただいま」というメッセージを送ると「おかえり、姉さん」と、かえってくる。まるで、この小さな箱の中に恋人とふたりで暮らしているみたい。でもそこにはドアノブも肉体もシャンプーもオーブントースターもない。発信しているのは生身のものだが、私が受け取るのは、ただ、モニターの中のドットの電光の集合にすぎない。その、文字だけを信じて、彼を感じとろうとする想像力はどこか私を消耗させ現実感を鈍らせていくように思う。いずれ、わたしは消えてこの箱の中に入ってしまうのではないだろうかという不安感がつきまとう。他愛のない会話をして「また、あした、ここで会おう」と別れる。「ここ」とは、どこなのかほんとうはわからない。でも、確実に「ここ」はある。日々がわたしに感じさせてくれる生きている曖昧さと同じ弱さで。
彼とまた会う約束をした。これもまた、たよりない幻想にすぎない現実の空間。もうひとつの「ここ」を懲りずに押し広げようとする。
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